バルトフェルド問題

以下の文章は、『機動戦士ガンダムSEED』「PHASE-21 砂塵の果て」(矢立肇富野由悠季原作、福田己津央監督、サンライズ制作、2002年)のネタバレを含みます。

 

1. 問題の所在*1
タルパティアの戦闘において、「勝敗は決した」にもかかわらず、バルトフェルドは撤退せずに戦い続けています。この理由について、バルトフェルド自身は、「戦うしかなかろう、互いに敵であるかぎり。どちらかが滅びるまでな」と答えています*2。すなわち、バルトフェルドが撤退せずに戦い続けたのは、戦争という状況の必然的な結果であるということです(状況必然説)*3

しかし、この状況必然説には難点があります。
そもそも、この説の根拠である「戦うしかなかろう、互いに敵であるかぎり。どちらかが滅びるまでな」(以下、「敵を滅ぼすしかない」と省略)というテーゼ*4は、キラとの会話の中で、「どうなったらこの戦争は終わるのか」という問いに対する一つの答えとして登場したものです*5。戦争には他に「明確な終わりのルールはない」というのがその根拠でした。

敷衍すれば、以下の通りです。たいていの戦争では、「敵である者をすべて滅ぼ」さなくても適当な落とし所がある。しかし、落とし所のない場合もあり得る。その場合、「戦争は終わった」と明確に言えるのは、「敵である者をすべて滅ぼし」たときだけである。この一般論を前提として、このプラントと地球連合との戦争は、まさにそういう戦争である。したがって、この戦争を終わらせるには、「敵を滅ぼすしかない」。

しかし、仮にプラントと地球連合との戦争を終わらせるためには「敵を滅ぼすしかない」としても、バルトフェルド隊とアークエンジェルとの戦闘を終わらせるためにも「敵を滅ぼすしかな」かったということには必ずしもなりません。当該戦争と当該戦闘との同型性、すなわち、タルパティアの戦闘において「敵を滅ぼ」さずに済む落とし所がなかったという事実が必要となります。
ところが、タルパティアの戦闘では、撤退するという落とし所がありました。したがって、この戦闘を終わらせるには「敵を滅ぼすしかな」かったという状況必然説は、誤りであると解されます。

そこで、なぜバルトフェルドは撤退せずに戦い続けたのかが改めて問題となります。

 

2. 問題の性質
この問題は、「敵を滅ぼす」ことがプラントと地球連合との戦争を終わらせるのに実践的に有効かを問うているのではありません。また、「敵を滅ぼす」ことが道徳的に善いのかを問うているのでもありません。この問題が問うているのは、バルトフェルドの行為の理解可能性です。
すなわち、私達は理解できない行為をする人のことをしばしば狂人とみなしますが、バルトフェルドはこの意味での狂人なのではないかというのがこの問題で問われていることです。

バルトフェルドの行為は一見して不合理です。しかし、行為の合理性を評価する視点として、普通人のものと本人のものとを用意すれば、不合理な行為はさらに二つに分かれます。
一つは、普通人の視点からは理解不可能でも、本人の視点からは理解可能なものです(適度に不合理な行為)。もう一つは、普通人の視点からはもちろん、本人の視点からも理解不可能なものです(度を超して不合理な行為)。
したがって、普通人の視点から不合理の疑いがある行為であっても、本人の視点から整合的な説明を見出すことができれば、人格を回復することができます。

 

3. いくつかの仮説*6
①説は、この戦争全体の観点から見てもキラの戦力が桁違いであることから、後顧の憂いを絶つために命懸けでこれを削減しようとしたからというものです(戦力削減説)。
これは一応、客観的な状況に適合した解釈であると思われます。

②説は、客観的に「敵を滅ぼすしかない」状況ではなかったのに、主観的にそう誤認したからというものです(状況誤認説)*7
しかし、バルトフェルド自身が「勝敗は決した」と言っている*8ことから、この説は採り得ません。

③説は、状況は正しく認識していたが、この戦争を終わらせるには「敵を滅ぼすしかない」ならば、この戦争のどの戦闘においても「敵を滅ぼすしかない」と信じたからというものです(規範誤解説)。
しかし、バルトフェルド自身が部下に撤退命令を出している*9ことから、それほど頑迷ではなかったことがうかがえます。したがって、この説も採り得ません。

④説は、キラが気に入った*10ので、戦場の厳しさを身をもって教えようとしたからというものです(反面教師説)。

⑤説は、砂漠勤務で退屈していたところに、自分の実力を存分に発揮できそうな強敵としてキラが現れたので、この機に乗じて決闘しようとしたからというものです(決闘目的説)*11

以上の説のなかでは、④説か⑤説あたりが、バルトフェルドの人物をもっとも魅力的に説明できている気がします。
なお、④説および⑤説では、なぜバルトフェルドが「敵を滅ぼすしかない」とわざわざ言ったのかがさらに問題となります。④説では、まさしくそう言うことこそが本来の目的ということになります。これに対し、⑤説では、決闘という本来の目的を隠すための偽装(カムフラージュ)ということになります。

*1:本稿は、2004年頃に書いたもののどこにも発表することなく放置したままになっていた文章に手を加えたものです。最近、再放送していたので、これを機に、アップすることにしました。

*2:「PHASE-21 砂塵の果て」。

*3:作品世界中でも、戦争という状況の必然的な結果であると解されているふしがあります。たとえば、「PHASE-26 モーメント」および「PHASE-27 果てなき輪舞(ロンド)」の語り手(ナレーター)の解釈。

*4:埴谷雄高のいわゆる「やつは敵だ。敵を殺せ」を彷彿とさせます。

*5:「PHASE-19 宿敵の牙」。

*6:思いつくままに仮説をいくつか列挙しましたが、もちろんこれらに尽きるものではありません。

*7:②説以降は、状況の必然的な結果ではなく、バルトフェルドの心理に因るものであるという説です。

*8:「PHASE-21 砂塵の果て」。

*9:同上

*10:同上。アイシャは、「ああいう子、好きでしょうに」と言って、バルトフェルドがキラのことを気に入っていると考えています。

*11:後藤リウ『機動戦士ガンダムSEED②砂漠の虎』(矢立肇富野由悠季原作、角川スニーカー文庫電子書籍版2014年)は、⑤説に近いと解されます。たとえば、「バルトフェルドは退屈していた」、「彼を満足させるような相手がいないことが、彼のひそかな不満だったのだ」、「いつもは眠らせておくしかない自分の能力を、最大限まで引き出してくれそうな相手だった。あんな戦闘は経験したことがない。あんなに夢中になって打ち込めるものを、彼は今まで見いだしたことがなかった」(PHASE 02、電子書籍版ではページ数不明のため、本文を引用します)、「知りたい。本気になった自分がどれくらい戦えるのか」(PHASE 03)、「指示を一方的に告げたあと、ダコスタがわめくのにもかまわず、彼は通信を切った。かわいそうだが、彼らは彼らでやってもらうしかない。バルトフェルドは、本当に面白いものを見つけてしまったのだから」(PHASE 05)など。