私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(5)

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(4)のつづき

下記作品のネタバレがあります。
ご注意ください。

・「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」(2013年、シャフト)



(2)[新編](イ)(つづき)
(b)(結界世界の)ほむらは、なぜ救済を拒んだのか(上)
(結界世界の)ほむらは、自分が「魔女」だという「真相にたどり着」きました。
しかも、(現実世界の)自分が「魔女」になったのは、「まどかにモテない」という現実から逃避した結果だということまで、「思い出し」ています*1
では、この状況で、(結界世界の)ほむらは何ができるでしょうか。

まず、結界世界における「充実した魔法少女ライフ」をもう一度(もうn度?)「やり直」すことが考えられます。
しかし、今回ばかりは「やり直」せそうにありません。
なぜなら、「やり直」すためには、自分の記憶と他人の記憶とを改めて操作しなければなりません。
ところが、今回のほむらは、どちらも操作できないからです。

すなわち、このときのほむらは、もはや自分をだませなくなっています。
なぜなら、「魔法少女のお茶会」後のほむらは、初めての賢者タイムに入っていました。
そのうえで、その賢者タイムの自分をさらに見つめなおしている(大賢者タイム?)からです。

しかも、インキュベーターは、今までのほむらの「はしゃぎっぷり」を観測しています。
これは、ほむらにしてみれば、まるで、全国130館の劇場で、自作の同人誌を晒し上げられるような仕打ちでしょう。
だから、インキュベーターの記憶はぜひとも消したいところです。
しかし、インキュベーターは、結界外部の存在です。
だから、ほむらの記憶操作は及びません。
また、結界内部にいる(はずな)のに、なぜか記憶を操作されていなかったさやかの存在も、不気味に思われたでしょう。


「やり直」すことができない以上、結界の世界を維持していた、まどかとほむらとの「均衡も崩れ」ます。
次にこの状況で、ほむらにできるのは、「まどかに助けを求める」か、「求め」ないかのどちらかです。

一方で、ほむらが「まどかに助けを求め」れば、まどかは「自分が何者なのか」「思い出す」でしょう。
そして、インキュベーターいわく「待ち望んでいた存在との再会の約束を果たす」ことができます。
問題は、干渉遮断フィールドの中だと、インキュベーターが円環の理を観測できてしまうということです。
それは、インキュベーターがやがて「まどかを支配する」端緒になり得ます。

他方で、ほむらが「まどかに助けを求め」なければ、まどかは「神であることを忘れ」たままです。
だから、「まどかの秘密が暴かれ」ずに済みます。
その代わり、ほむらは完全な「魔女にな」り、「永遠の時を呪いとともに過ごす」ことになるでしょう。
しかも、「魔女にな」る前に自殺することも難しそうです。
なぜなら、自殺するには、ソウルジェムを物理的に砕かなければなりません。
ところが、ここは、ほむらの「ソウルジェムの中にある世界」だからです。

つづく

*1:これは、問い(a)に対する現実逃避説からの帰結のように見えます。しかし、実は、現実逃避説が真だということを、必ずしも意味していません。