心理学主義的社会(観)

以下の文章は、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(矢立肇富野由悠季原作、福田己津央監督、サンライズ制作、2004年)のネタバレを含みます。


1. はじめに*1
機動戦士ガンダムSEED DESTINY』では、一つの特徴的な社会観(世界観というより)が表れています。そこで、以下では、作中人物の一人であるデュランダルが提起した二つの問いを検討する形で、その社会観を浮かび上がらせます。

 

2. デュランダルの戦争原因論*2
一つ目の問いは、作中において「なぜ戦争はこうまでなくならないのか」です。

戦争*3は、自然現象とは異なり、直接的には人間の行為によって引き起こされるものです。しかし、「戦争はいやだと、いつの時代も人は叫び続けてい」るとされています。すなわち、たいていの人間は戦争したくないということです。にもかかわらず、現に戦争は起きています。

そこで、自分達ではない誰か一部の人間が戦争をしたいと思っているから戦争はなくならないのだと考えたくなります。
シンは、「いつの時代も身勝手で馬鹿な連中がいて……ブルーコスモス大西洋連邦みたいに」と答えています。また、デュランダル自身は、「あれは敵だ」、「人類の歴史には、ずっとそう人々に叫び、つねに産業として戦争を考え、作ってきた者達がいるのだよ。自分達の利益のためにね」と答えています。
シンの答えは心理学主義、デュランダルの答えは陰謀論と呼ばれるものです。これら二つの答えは、戦争は人間の意図(たとえば憎悪、狂気などの心理、陰謀)の結果であると説明する点で共通しています*4*5

しかし、心理学主義、陰謀論に対しては、一部の人間の意図がなぜたやすく実現してしまうのかという疑問があります。
たいていの人間が戦争を望んでいないのに戦争が起きるということは、少なくとも戦争に関するかぎりでは人間の意図と結果とがたいてい食い違うということです。すなわち、一部の人間の意図さえめったに実現しないということです。つまり、任意の戦争について、仮に陰謀が存在していたとしても、当該戦争が当該陰謀の結果である蓋然性はきわめて低いということになります。
にもかかわらず、一部の人間が例外であり得るのはなぜか、少なくともその機序(メカニズム)を説明する必要があります*6

 

3. デュランダルの戦争根絶論*7
心理学主義、陰謀論を前提として、デュランダルが提起した二つ目の問いは、戦争を「もう二度と繰り返さない」ためには、どうすればよいのかです。

デュランダルは、戦争の原因である陰謀(ロゴス)と心理(「無知と欲望」)のうち、前者については「ようやくそれを滅ぼすことができた」とする一方で、後者についてはこれを克服するために、遺伝子工学に基づきデスティニー・プランと称する一種のユートピア主義*8的制度を提唱します。

まとめれば、以下の通りです。
①「誰もが皆幸福に生きられる世界になれば、もう二度と戦争など起きはしない」*9
②「幸福に生き」るとは、「自分を知り、精一杯できることをして役立ち、満ち足りて生きる」ことである*10
③ 「自分を知り、精一杯できることをして役立ち、満ち足りて生きる」るとは、「資質のすべて、性格、知能、才能、また重篤な疾病原因の有無の情報」を知り、それにしたがって生きることである。
④この制度の妥当性は遺伝子工学によって、実効性は暴力によって担保される*11

しかし、①は因果関係が不明です。②は幸福の名目的再定義です。仮に①、②を肯定するとしても、③遺伝子は各人の社会的な役割を一義的に導き出すことはできません。なぜなら、適応すべき環境は一義的ではないところ、各人の資質に対応した社会的な役割を用意できるかは別の問題だからです。また、④全世界を実験場とする全体的かつ急進的な計画であるため、「かならず反発を生」むとすれば、やはり戦争は不可避です。

したがって、デスティニー・プランは、少なくとも戦争根絶のための政策としては不適切であったと解されます。

 

4. まとめ
陰謀論の淵源は、古代ギリシャホメロス的運命論にあるとされています*12。すなわち、ホメロスによれば、世界で起こるすべての出来事の原因は、オリンポスの神々の陰謀です。陰謀論では、「人間」が「神々」に取って代わっただけです。
また、陰謀論を前提とするデスティニー・プランでは、「遺伝子」が「人間」に取って代わっただけです。その結果、教条的という意味では運命論的です*13が、社会政策としてはむしろ場当たり的になってしまったのではないかと思われます。

もっとも、作品世界では、デスティニー・プランが戦争根絶論として拒否されても、戦争原因論としての心理学主義が拒否されているようには見えません。
しかも、単に社会観であるにとどまらず、実際にこの作品の社会が心理学主義的にできている疑いがあります*14。そこで、このような社会を心理学主義的社会と称することができると思います。

*1:本稿は、2005年頃に書いたもののどこにも発表することなく放置したままになっていた文章に手を加えたものです。最近、再放送していたので、これを機に、アップすることにしました。

*2:以下、カギカッコ内は一部を除いて「PHASE-19 見えない真実」から引用。

*3:「戦争」という語は多義的です。以下ではとくに区別しませんが、手段としての武力行使を意味する場合もあれば、その結果としての戦争状態を意味する場合もあります。

*4:カール・ポパー『開かれた社会とその敵』2上、小河原誠訳、岩波文庫、2023年、197頁以下。したがって、陰謀論は心理学主義の変種と解することができます。

*5:「PHASE-48 新世界へ」でも、デュランダルは「有史以来、人類の歴史から戦争のなくならぬわけ」は、「一つには間違いなくロゴスの存在」(陰謀)であるとする一方で、「我々自身の無知と欲望」(心理)であるとしています。

*6:陰謀論批判は、陰謀があったとしても、めったに成功しないから陰謀論は一般的な説明としては適切でないとしているだけで、陰謀は存在しないとか陰謀は成功しないとかしているわけではありません。デュランダルによれば、現にこの戦争はロゴスという陰謀家によって仕組まれたものであり、およそすべての戦争がそうであるとされています。作中で陰謀が成功しやすい理由の一つは、おそらく社会関係の単純性ではないでしょうか。すなわち、特定の一個人(たとえばブルーコスモス盟主、ザフト最高評議会議長など)の意図が即座に結果として実現するような、効率的な(=短絡的な)制度、伝統、慣習が確立されており、その結果、この作品の社会(世界というより)は、人間の気まぐれ的な意図に対してきわめて敏感に反応するのではないかと思われます。

*7:以下、一部を除いて、カギカッコ内は「PHASE-48 新世界へ」から引用。

*8:「PHASE-48 新世界へ」というサブタイトルは、オルダス・ハクスリーすばらしい新世界』を想起させます。

*9:「PHASE-36 アスラン脱走」。

*10:同上。

*11:デスティニー・プランの要は、遺伝子工学という知の権威と、暴力の制度化としての軍隊であると解されます。

*12:ポパー前掲209頁。

*13:遺伝子工学という科学的衣装をまとった、神なき神学と解してよいと思います。

*14:視聴者が生きているこの世界とは異なる世界での出来事である(仮に視聴者が生きているこの世界と地続きの未来の世界であるとしても)のはたしかですが、これはあくまで作品世界そのものというよりは、作品世界の中にある一社会の問題です。作品世界が作中人物の意図通りに変化するようにできているか、また、それを超えて作品世界が作品の作り手の意図通りに変化するようにできているかについては、言及していません。