私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(2)

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(1)のつづき

下記作品のネタバレがあります。
ご注意ください。

・「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」(2013年、シャフト)
・「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(2013年、SILVER LINK.谷川ニコ原作)


(2) [新編]
にもかかわらず、結局、まどかのウルトラCでは、ほむらは救われませんでした。
すなわち、ほむらの「やり直し」は、[新編]でも変わらなかったのです。
彼女は、まどかのいない世界に一人取り残された孤独から、結界に引きこもり、妄想に耽ります。
その内容は、暁美ほむら作「戯曲版 魔法少女まどか☆マギカ」といったところでしょう(作者兼役者)。

ところで、この暁美先生の同人誌について、インキュベーターは「無意味な堂々巡り」と、低評価のレビューをコメントしています。
「堂々巡り」ということは、ほむらは結界の中でも何度か「やり直し(改訂)」ているのではないでしょうか。
たとえば、OPの遊園地やダンス(「魔法少女のお茶会」のダンスバージョン?)で彼女が「ぼっち」になっているのは、単なるイメージではなく、結界の中で[新編]が始まる前に実際にあった出来事なのではないでしょうか。
そのプレ[新編]の世界で、彼女は「クールな暁美ほむら」を演じているようですが、明らかに失敗しています(無口で無表情なキャラ設定に失敗した黒木智子のように*1)。
そこで、[新編]では方向転換して、「ちょっと引っ込み思案だけど頑張り屋さんの暁美ほむら」を演じることにします(「健気なの察しろや!」*2)。
そして、ようやく良好な人間関係を築くことができたのです。

「イメチェン」したほむらを見た美樹さやかは、心の中でニヤニヤしたかもしれません。
ニヤニヤしながらも、これを改善の兆候だと解釈したのではないでしょうか。
結果的にではあるが、この結界の中での繰り返しが、ほむらが現実を受け入れる訓練(ロールプレイング療法)になっていると(某恋愛アドベンチャーゲーム原作のアニメのように)。

しかし、魔法少女としてのリア充生活をひとしきり堪能した後、ほむらに訪れたのは賢者タイムです。
「私達の戦いって……これで、良かったんだっけ?」
我(役に入り込めなかった役者としての「我」)に返った彼女は、まず一番まともに話ができそうな佐倉杏子に相談します。
その結果、このリア充生活が魔女の手による偽物であることを確信するのです。
しかも、、魔女の結界にしては魔法少女に都合がよすぎるというさやかの指摘によって、仲間の中に魔女がいるという結論を得ます。

注目すべきは、こられの過程を通して、ほむらは自分が魔女だとは疑わなかったということです。
これは第一に、自分は魔女ではないという観察事実が現にあるからでしょう。
すなわち、魔女とは「絶望に沈んだ魔法少女達が、最後に成り果てる呪われた姿」、つまり、魔女の要件は、魔法少女であり、かつ、絶望することである。
ところが、自分は絶望してない。
むしろ、まどかが作り変えたこの世界の理を、積極的に受け入れている。
だから、自分は魔女ではない。
もちろん、彼女が絶望していない(と思い込んでいる)のは、記憶を操作されているからです。
言い換えれば、結界世界の暁美ほむら(役者)が絶望していないのは、現実世界の暁美ほむら(作者)がそういう登場人物として設定した名残です。

第二に、他の魔法少女を見下しているからでしょう。
すなわち、今回も「覚えているのは私だけ」。
他は何も知らない有象無象。
だから、魔女は他の魔法少女に決まっている(「悪いの自分じゃない」*3)。
ところが、「強がって、無理して、そのくせ誰よりも繊細」な巴マミに、「あなたの能力はたしかにすごいけど、いつだって相手より優位な立場にいると思い込むのは禁物よね」とたしなめられます。
さらに、「不器用な子だったはず」のさやかにも、「また自分だけの時間に逃げ込むつもり? あんたの悪い癖よね」と核心を衝かれてしまうのです。

しかも、さやかにいたっては「これって、そんなに悪いことなのかな。それを祈った心は、裁かれなきゃいけないほど罪深いものなのかな」と、後で真実を知ったほむらが傷つかないように、さりげなくフォローまでしています。
しかし、「人生の先輩」であるさやかの不用意なフォローが、かえってほむらの劣等感を刺激したおそれもあります。
ひょっとすると、さやかはさやかで、以前、メタ視点から(主にまどかのために)ほむらに説教されたのを根に持っていたのかもしれません。
あるいは、ほむらが杏子と二人きりでデート(?)していたのが面白くなかったのかもしれません。

結局、ほむらが自分が魔女であることにはっきり気づいたのは、まどかの「誰とだってお別れなんてしたくない」という言葉を聞いた時だと思われます。
まどかのその言葉によって、彼女はようやく自分の希望(というより執着)と絶望に思い当たることができたのです。

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(3)につづく

*1:私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」喪5「モテないし、スキルアップしてみる」

*2:私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」オープニングテーマ曲「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」(2013年、キバオブアキバ作詞・作曲・編曲、鈴木このみ n’ キバオブアキバ歌)

*3:同上エンディングテーマ曲「どう考えても私は悪くない」(2013年、畑亜貴作詞、福本公四郎作曲、ミト編曲、黒木智子(橘田いずみ)歌)

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(1.5)

下記作品のネタバレがあります。
ご注意ください。

・「魔法少女まどか☆マギカ」(2011年、シャフト)
・「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]始まりの物語/[後編]永遠の物語」(2012年、シャフト)
・「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(2013年、SILVER LINK.谷川ニコ原作)


――病院――

ほむっち「私は……明日から転校生だ! すでにエロゲ内では、50年間、転校生として過ごし、様々な転校デビューを経験した。シミュレーションに抜かりはない!」


――翌日――

先生  「今日はみなさんに転校生を紹介します」

ほむっち「あ、あの……暁美……ほむらです……その……えっと……どうか……よろしく……お願いします」

先生  「暁美さんは心臓の病気でずっと入院していたの。みんな助けてあげてね」


――教室――

モブ子1 「暁美さんて、前はどこの学校だったの?」

ほむっち(ひっ……人と話すの久しぶりだし……こ、声ってどうやって出すんだっけ? え、えっと……き、きらめき高校……なんつって)

モブ子2 「部活とかやってた? 運動系? 文化系?」

ほむっち(ぶ、部活!? に、日常部……妄想の中でだけど……デヘヘ)

モブ子3 「すんごい長い髪だよね。毎朝編むの大変じゃない?」

ほむっち「(げ、ゲームするのに邪魔だから、寝る時もずっと編みっぱなしなんだけど)……あの……私……その……」

まどか 「暁美さん、保健室行かなきゃいけないんでしょ? 私、案内してあげる。」

ほむっち(た、助かった)


――廊下――

まどか 「ごめんね。みんな悪気はないんだけど、転校生なんて珍しいから、はしゃいじゃって」

ほむっち「……ありがとうございます」

まどか 「あたし、鹿目まどか。まどかって呼んで。私もほむらちゃんって呼んでいいかな?」

ほむっち「(なんだこの馴れ馴れしいビッチは。もしかして私に気があるのか?)……私、あんまり名前で呼ばれたことなくて……すごく変な名前だし」

まどか 「そんなことないよ! なんかさ、燃え上がれ〜って感じでかっこいいと思うな! せっかく素敵な名前なんだから、ほむらちゃんもかっこよくなっちゃえばいいんだよ!」

ほむっち(……女神かな?)


――授業――

先生  「君は休学してたんだっけな。友達からノートを借りておくように」

ほむっち(トモダチ……それ、何語でしたっけ?)

モブ子4 「準備体操だけで貧血ってやばいよね〜」

モブ子5 「半年もずっと寝てたんじゃ、しかたないんじゃない?」

ほむっち(……orz)


――下校――

ほむっち(転校デビュー、失敗しちゃった。私、これからもずっとぼっちなの?)

使い魔 「だったらいっそ、死んだ方がいいよね」

ほむっち(死んだ方がいいかな)

使い魔 「そう、死んじゃえばいいんだよ」

ほむっち「!? どこなの……ここ?」

使い魔ぬろぉ〜ん

ほむっち「ひぃっ! なんなの!? これがうわさの痴漢!? 怖いっ! でもクラスで『痴漢されちゃったアピール』できるかも……でも怖いっ! 痴漢アカン!」

バキューン!!!
ビューン!!!

ほむっち「!?」

マミ  「間一髪ってところね」

まどか 「もう大丈夫だよ、ほむらちゃん!」

ほむっち「あなたたちは?(巨乳……)」

Qべえ  「彼女達は魔法少女。喪女を狩る者達さ」

まどか 「いきなり秘密がばれちゃったね。クラスのみんなには内緒だよっ!」

ほむっち(秘密……クラスのみんなには内緒……私と鹿目さんだけの秘密……てゆーか巨乳……)


――マミ's Room――

ほむっち「鹿目さん、怖くないの?」

まどか 「喪女をやっつければ、それだけたくさんの人が助かるわけだし、やりがいはあるよね」

マミ  「鹿目さんには、ワルプルギスの夜が来る前に、頑張って一人前になっておいてもらわないとね」

ほむっち「……(巨乳……)」


――ワルプル戦――

まどか死亡

ほむっち「どうして? シクシク……死んじゃうって分かってたのに……シクシク……生きててほしかったのに……(私、またぼっちになっちゃう)」

Qべえ  「その言葉は本当かい、暁美ほむら? 君のその祈りのために、魂をかけられるかい? 僕が力になってあげられるよ」

ほむっち「私は、鹿目さんとの出会いをやり直したい! 彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい!……うっ!」

ピカッ!

ほむっち(これは……初代ファミコン!?)

Qべえ  「契約は成立だ。さあ、解き放ってごらん、その新しい力を」

カチッ(リセット)


――病院のベッド――

ほむっち「ハッ! ……元に戻ってる! これで……転校デビューをやり直せる!(あと、瞬殺だったゲームの初回限定版が買える……)」


――学校――

ほむっち「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

タタタッ
手ガシッ!

まどか 「ふぇっ!?」

ほむっち「鹿目さん! 私も魔法少女になったんだよ! これからいっしょに頑張ろうねっ!(……おっと! 鹿目さんに会えたうれしさのあまり、先走ったわ。我慢我慢ガマン汁。でも、私達は、お前ら一般人とは違う世界の住人なんだよ……ニヒニヒ)」

まどか 「……(……うわあ……)」


――高架下――

ほむっち「行きます!(気配を遮断しろ……ステルスほむだ!)」スゥ……

まどか 「あ! ほんとに消えた! ほむらちゃん? ほむらちゃんどこ?」

マミ  「……(私と同類のにおいがする……)」


――委員長戦――

マミ  「暁美さん! お願い!」

カチッ(ポーズ)

ほむっち「えいっ!(リア充爆発しろ!)」爆弾ポーイ

ドカーン!

まどか 「やったー! すごい! すごいよ、ほむらちゃん! ウェヒヒ」ギュッ!

ほむっち(むはっ! 相変わらず雌のにほいプンプンさせやがって!)クンカクンカ


――ワルプル戦――

まどか 「うっ!……うあああああ!!!!!」

ほむっち「鹿目さん!?」

ソウルジェムパリーン!
喪女モコモコ

ほむっち「どうして? なんで? こんな……(……守れなかった……や、やり直さないと……)」

カチッ(リセット)


――病院のベッド――

ほむっち「伝えなきゃ……みんなキュゥべえに騙されてる!(転校デビューとか言ってる場合じゃないかも)」メガネプルプル


――どこか――

さやか 「あのさぁ……キュゥべえがそんなウソついて、いったいなんの得があるわけ?」

ほむっち「そ、それは……(知るか! 殺すぞ、くそビッチ!)」

さやか 「まさかあんた、本当はあの杏子とかいうやつとグルなんじゃないでしょうね?」

ほむっち「ち、違うわ!(男にフラれて杏子とレズレズしてたのはてめーだろ、このブス!)」

さやか 「どっちにしろ、私、この子とチーム組むの反対だわ。目の前で爆発とか火の粉が飛ぶのは勘弁です」

マミ  「暁美さんには、『ボンバーマン』以外のソフトってないのかしら」

ほむっち「ちょっと……考えてみます(……話逸らされた……)」


――ゲーム屋さん(時間停止中)――

ほむっち「……」

ガサゴソガサゴソ(物色中)

ほむっち「……ワイルドガンマン……」

ポッケナイナイ

ほむっち「……魂斗羅……」

ポッケナイナイ

ほむっち「……コンボイの謎……」

ポッケナイナイ

ほむっち「……フロントライン……」

ソットジ


――オクタ戦――

オクタドンチャンドンチャン♪

杏子  「てめぇ、さやかに何しやがった!」

まどか 「さやかちゃん、やめて! 思い出して!」

カチッ(ポーズ)

ほむっち「ごめん、美樹さん……」

爆弾ドカーン!

杏子  「さやか……ちくしょう! こんなことって……」

まどか 「ひどいよ……こんなの、あんまりだよ……」シクシク

ほむっち(……だから! 私の話聴けって言っただろおがあああ!!!……)

リボンクルリン!

ほむっち「!?」

バキューン!
パリン!
杏子ドサッ

マミ  「ソウルジェムが喪女を生むなら! ……みんな死ぬしかないじゃない! あなたも! 私も!」プルプル

ほむっち「ちょっ!(お前も話聴けよおおお!!!)」

ビューン!
パリン!
マミドサッ

まどか 「もういやだよこんなの……ウエェェェン!!!」

ほむっち(他のやつらじゃダメだわ……やっぱり私が鹿目さんを守るしかない……)


――ワルプル戦――

マモレナカッタヨ

ほむっち「……ねえ、私達このまま怪物になって、こんな世界めちゃくちゃにしちゃおっか……(鹿目さんといっしょなら、友達といっしょなら、それもアリかな)」

グリーフシードコツンッ→ソウルジェム

ほむっち「そんな! なんで私に!?」

まどか 「私にはできなくて……ほむらちゃんにはできることお願いしたいから……キュゥべえに騙される前の……馬鹿な私を助けてあげてくれないかな……」

ほむっち「約束するわ! 何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる!」

まどか 「……もう一つ頼んでいい? 私……喪女にはなりたくない……いやなことも悲しいこともあったけど……守りたいものだって……たくさんこの世界にはあったから……」

ほむっち「まどか!(なんで!? 私はまどかを守りたかったのに……「まどか」を守るために「まどか」を殺すの!?……なんで!?)んぬぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!」

パァン


――病院のベッド――

ほむっち「……」

スタスタスタ
髪ファッサー

ほむっち「誰も未来を信じない……誰も未来を受け止められない……だったら、私が……喪女を駆逐してやる……この世から……一匹……残らず!!」


――ワルプル戦――

まどか「はあ、はあ、はあ……」タッタッタ

ガチャ

ほむっち「……」襟立て黒服ファッサー

まどか 「(エエエェェェ……)これはひどい……」

Qべえ  「しかたがないよ。彼女一人では荷が重すぎた」

ワルプル「オーホッホッホッホッホ!!!!!」ドカーン

ほむっち「まどか! そいつの言葉に、耳を貸しちゃダメ!」

※以下、ほむっち視点の読唇術

Qべえ  『黒服はないよねぇ?ヒソヒソ』(※)

まどか 『ねぇ? プークスクス』(※)

ほむっち「って、お前ら何ヒソヒソ話しとんじゃあああ!!! イチャコラすんなやあああ!!!」

ワルプル「オーホッホッホッホッホ!!!!!」ズガーン

ほむっち「おめーもうるせーよ! 聞こえねーからちょっと黙れ!! つーか地に足つけて座ってろ!!!」

ワルプル「オッ、オホッ!……ゲホッ! ゲホッ……」

Qべえ  『ええがや』(※)

まどか 『あかんて』(※)

ほむっち「ふざっけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!(ツーコンマイク越し)」ヒュゥゥゥ……(落下)

まどかピカッ

(時間経過)

Qべえ  「本当にもの凄かったね、喪女になったまどかは。ま、後は君達人類の問題だ。僕等のエネルギー回収ノルマは、おおむね達成できたしね」

ほむっち(……エネルギー……ちぃおぼえた……)

クルッ(踵返し)

Qべえ  「戦わないのかい?」

ほむっち「……ぅねん」

Qべえ  「え? なんて?」

ほむっち「これはな、ちゃうねん」

カチッ(リセット)


――ワルプル戦――

ほむっち「……まあ、なんやかやあって、現在にいたるわけですわ」

まどか 「……そっか……ほむらちゃん、私、魔法少女になる!」

ほむっち「そうそう、だからあなたは早く逃げ……ってなるんかい!」

まどか 「……」

ほむっち「魔法少女なるんかーい! え? ちょっと待って? え? ウソやろ? いやいやいや……私の話聴いてた? 耳アカたまってんじゃないの? なめようか? 私が耳アカなめ取ろうか?」

まどか 「信じて。ぜったいに今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」

ピカッ!

ほむっち「アホかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


――宇宙的なところ――

まどか 「今の私になったから、本当のあなたを知ることができた。ほむらちゃん、いままで守ってくれてありがとう。あなたは私の最高の友達だったんだね」

ほむっち「だからって、あなたはこのままこんな場所に一人ぼっちで永遠に取り残されるっていうの!?」

まどか 「一人じゃないよ。これからの私はね、いつでもどこにでもいるの。だから見えなくても聞こえなくても、私はほむらちゃんのそばにいるよ」

ほむっち「なるほど、汎神論か。しかし、『どこにでもいる』ということは、すなわち『どこにもいない』ということになるのではないか。なぜなら、我々が『いる』という言葉を使うのは、通常、当該個体が『どこかにはいる』かつ『どこかにはいない』という場合であって、『どこにでもいる』場合ではないからである」

まどか 「いや、そうではない。たしかに、通常の意味で他の存在者と区別された個体としての私がこの宇宙の『どこかにいる』ということはなくなる。しかし、私が『どこにでもいる』と言っているのは、宇宙そのものが私そのものだという意味である。ミクロ的にいえば、たとえば、暁美ほむらを構成する細胞の一つ一つ、原子の一つ一つ、素粒子の一つ一つに至るまで、すべてが私なのである」

ほむっち「その想像はたしかに気色いいが、やはりおかしい。万物すなわち神だというのなら、汎神論自体無意味ではないか。たとえば、夢はいつか覚めるからこそ夢なのであって、いつまでも覚めないならばそれは夢ではなく現実だろう。同様に、他の存在者と対比されることのない汎化された存在者は、『いる』という意味自体が空回りしてしまう。私が欲しているのは、そのような『いるかいないかよく分らない鹿目まどか』ではない」

まどか 「……ごめんね。私、みんなを迎えに行かないと。指名入っちゃった」

ほむっち「って、私とほかの子とどっちが大事なのよおおおおお!!!!!」

キュピーン(改変)


――改変後の現実世界――

ほむっち「……一人で勝手に転生デビューしちゃってさ……イジイジ」

Qべえ  「またぼっちにもどっ……いえ、なんでもありません」

ほむっち「……さてと、しょうがないから、うつぶせ寝でまどかのエッチな夢でも見るかガサゴソ……ハァハァ……まどか……せつないよぉまどかぁ……リボンクンカクンカペロペロ」

Qべえ  「いやいや……」

ほむっち「……ハァハァ……ハァハァ……んぬぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!…………………………ふぅ……悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど……」

Qべえ  「救いようのないのは……いえ、なんでもありません」

ほむっち「だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なんだ。それを覚えてる。決して忘れたりしない。だから私は、戦い続ける!」

つづく

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(1)

下記作品のネタバレがあります。
ご注意ください。

・「魔法少女まどか☆マギカ」(2011年、シャフト)
・「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]始まりの物語/[後編]永遠の物語」(2012年、シャフト)
・「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」(2013年、シャフト)
・「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(2013年、SILVER LINK.谷川ニコ原作)


1. 趣旨

暁美ほむらが「悪魔」になったのはなぜか。
私が当初前提していた彼女の人物像からすると、その必然性がうまく「説明」できません。
そこで、彼女が「悪魔」になったという結果から遡って、彼女の人物像を再解釈してみることにしました*1

その際、補助線として、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」の主人公、黒木智子(もこっち)をちょいちょい使います。
屈折した自意識から理想と現実との隔たりに苦悩する、という点において、ほむらは智子の延長線上にいると思われるからです。
言い換えれば、孤高ぶっている暁美ほむらを、私達の日常に引きずり下ろして分かったつもりになる、という試みです。


2. 再解釈

(1)[前編/後編](またはTVシリーズ
そもそも暁美ほむらは「心臓の病気でずっと入院してい」ました。
その間、ずっと転校デビューをシミュレーションしていた(にちがいありません)。
もちろん、黒木智子のように「女子高生になれば自然とモテると思っていた」*2かどうかは分かりません。
しかし、ほむらが転校デビューに失敗したのは確かです。

リア充の仲間入りに失敗し、「死んだ方がいいかな」とまで思いつめた末、魔女の結界に誘い込まれたほむらの前に現れた魔法少女
それは、あのとき優しくしてくれた保健係の鹿目さん。
そんな鹿目さんの秘密を知っているのは自分だけ。
だって、「クラスのみんなには内緒だ」から。
自分にもやっと友達ができた。
なのに、死んじゃうなんて。
もう自分には何もない。
また一人ぼっち。

そこで、ほむらが願ったのは、「鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」。
これは、単に「彼女を守る」というだけではなく、「彼女を守る私」になりたいという意味でしょう(「ほむらちゃんも、かっこよくなっちゃえばいいんだよ」)。
ちゃっかり自己実現的要素が入っている点において、この願いは無私のものではありません(ただし、無私を装った美樹さやかの願いに比べれば、かえって潔いかもしれません)。

それはともかく、これ以降、暁美ほむらの人生は「やり直しのやり直し」の繰り返しです。
すなわち、「失敗してはやり直し、やり直してはまた失敗し、 失敗してはまたやり直す」ということを繰り返しています。
しかも、「時間を遡行」することによって、失敗をなかったことにしてやり直そうとしているのです。
それもそのはず、ほむらが自ら規定した「暁美ほむらの生きる意味」は、「鹿目まどかを守ること」だからです。
言い換えれば、n番目のまどかを守れなかった時点で、n番目の世界で生きる意味はなくなってしまう(と思い込んでいる)からです。
「私の戦場はここ(n番並行世界)じゃない」

ただし、この考え方には、ほむらが守るべき「鹿目まどか」とはいったい誰のことなのか、という問題があります。
任意の並行世界において「鹿目まどかという属性を持った個体」なら誰でもいいのか。
言い換えれば、「このまどか」を救うために、「他のまどか」を犠牲にすることは構わないのか。
そもそも、「時間遡行」というのも、なかなか理解が難しい概念です。
「並行世界間の移動」と解釈するのならば、それは逆に未来へと「時間を下る」ことなのではないかとも思われます。
だとすれば、それは「来世から本気出す」(「私がモテる未来までこの世界を赦さない」*3、「全てが変わる未来で会おう」*4)と同じなのではないでしょうか。
むしろ、失敗をなかったことにするという点において、より悪質(?)であるとも言えそうです。

しかし、いずれにしろ、ほむらのこの考え方は、([前編/後編]における並行世界の)まどかの「犠牲」によって肩透かしを食らいます。
すなわち、ほむらは、まどか本人の祈りによって、「鹿目まどかは救われた」という解釈の転換を余儀なくされるのです。
同時に、暁美ほむらの生きる意味も、「かつて、あの子が守ろうとした場所」で「戦い続ける」ことだと自分に言い聞かせざるを得なくなります。
「覚えているのは、私だけ」というのが、辛うじて納得できる妥協点でしょう。

私がまどかにモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(2)につづく

*1:内容的には、前記事「【ネタバレ】「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」を観て、以下の問いに答えよ。(配点 100) - 流れるアニメとよどむ目」において挙げた「二次創作説(自意識誤想過剰防衛説)」を掘り下げたものになるのではないかと思います。

*2:私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(2013年、SILVER LINK.)ストーリー紹介

*3:同上オープニングテーマ曲「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」(2013年、キバオブアキバ作詞・作曲・編曲、鈴木このみ n’ キバオブアキバ歌)

*4:同上

【ネタバレ】「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」を観て、以下の問いに答えよ。(配点 100)

【問題】
暁美ほむらが「悪魔」になったのはなぜか。暁美ほむらの心情に即して、100字以内で私見を述べよ。


【解答例】
鹿目まどかを救えなかった罪悪感と、その罰である魔獣との戦いに背を向け、キャッキャウフフな妄想に逃げ込んだ弱さを恥じる気持ちと、心の中を覗き見され、しかも同情されたいたたまれなさとを払拭したかったから。(100字)


【解説】
1. 設問の趣旨
設問は、暁美ほむらという登場人物によってなされた、ある行為の理由を問うものです。
すなわち、設問の前提として、インキュベーターの観測機械はすでに破壊されていました。
だから、円環の理を拒むべき状況の必然性はない(ように見えます)。
ということは、この結果は彼女の心理に因るものだと考えざるを得ません。
では、どんな心理が働いていたのでしょうか。
そこで、彼女の心理という観点から、彼女の行為を合理的に「説明」せよ、というのです。

注意すべきは、この設問が問うているのは、暁美ほむらの行為の物理的な可否(実現可能性)でも道徳的な善悪(非難可能性)でもなく、合理性、言い換えれば(説明時における)理解可能性だということです。
極端に言えば、私達は理解できない行為をする人のことをしばしば「狂人」と呼びますが、彼女はこの意味での狂人なのではないか、というのがここでの問題意識なのです。
「誰に分かるはずもないわ」という彼女自身の言葉に反して、彼女の行為は理解できるように解釈され、説明され「なければならない」のです。

そこで、行為の合理性を評価する視点として、普通人のものと本人のものとを用意すれば、不合理な行為はなお2種類に分けることができます。
一つは、普通人の視点からは理解不可能でも、本人の視点に立てば理解可能になるもの(適度に不合理な行為、疑似的に不合理な行為)です。
もう一つは、本人の視点に立っても理解不可能なままのもの(度を越して不合理な行為、正真正銘不合理な行為)です。

暁美ほむらの「悪魔」化を見た人の多くは、それを唐突だと感じたはずです。
しかも、見終わった後もなお、何が伏線だったのかいまいち分かりません。
なにより、彼女自身が説明も他人の理解も拒んでいます。
つまり、彼女の行為は普通人(この中には美樹さやかを含めてもいい)の視点からは一見理解不可能なのです。
いったい、「愛」とはつまりどういうことなのでしょうか。
そこで、さらに、本人の視点から整合的な説明を与えることができるかが焦点となるのです(こうなると、単なる「どんでん返し」というより、「リドル・ストーリー」の様相を呈してきます)。

なお、仮に本人の視点からも理解不可能な場合、言い換えれば、私達が暁美ほむらの行為に整合的な説明を与えることに失敗した場合、作品外に存在する作者をつい批判したくなるかもしれません。
なぜなら、私達は、この作品に作者(いわば神)が存在することを知っているからです(ところで、これは私達が生きるこの現実世界と大きく異なる点なのか否か。また、ノンフィクション作品はどうなのか)。

しかし、そうした批判が妥当かどうかは、問題の文脈によって決まります。
すなわち、その問題が「作品の出自」に興味を持っているのか、それとも、「作品の内容」に興味を持っているのかです。
つまり、作者と作品との関係は前者に属し、それはそれとして議論になり得ます。
しかし、それはここでの問題ではない、というだけのことです(どこまでを「作品」と捉えるのか、という先決問題はあります)。
本設問について言えば、その興味はもちろん作品の内容にあります。
しかし、それは単に、出題者(である私)がそちらにしか興味を持たなかったから、というだけのことにすぎないのです。


2. 各説の検討
以下、思いつくままにいくつか説明仮説を挙げますが、必ずしも網羅的ではありません。

(1) 脅威排除説
状況の必然性がないという設問の前提が間違っている。
鹿目まどか(円環の理)に対するインキュベーターの脅威は、将来的にはなお存在する。
それを完全に排除しなければならない。
そして、それができるのは暁美ほむらだけだったからである、とする説。


(2) 魔女化影響説
状況の必然性がないという設問の前提が間違っている。
たしかに、暁美ほむらは是非弁別能力または行動制御能力を欠く状態にあった。
しかしそれは、干渉遮断装置の中でとはいえ、魔女化した影響があったからである、とする説。


(3) 救済固執説(罪悪感克服説)
かつて鹿目まどかを救えなかった罪悪感のあまり、自分なりに「まどかを救う」ことに固執したからである、とする説。

結界の世界におけるまどかの告白(「誰とだってお別れなんてしたくない」)を機に、暁美ほむらの中で状況の再解釈が生じている(「それがあなたの、本当の気持ちなら……私、なんて馬鹿な間違いを……」)。
すなわち、まどかを「犠牲」にした(「これじゃ、死ぬよりも……もっとひどい……」)のはやはり間違いだった。
これは自分の罪である。
だとすれば、魔獣との戦いは、その罰である(「だから私は、戦い続ける」)。
にもかかわらず、まどかのいない世界に一人取り残された孤独(「寂しいのに、悲しいのに、この気持ちを誰にも分かってもらえない」)から、「魔獣と戦う使命に背を向け、ありえない世界に逃げ込んだ」。
あまつさえ、迂闊にもまどかをインキュベーターの脅威にさらした。
だとすれば、そんな自分はますます救われてはならない。
まどかに合わせる顔なんてない。
このまま結界の中で魔女として滅びるべきである(「きっとこの結界が私の死に場所になるでしょう」)。
それが自分への永遠の罰である。

ところが、当のまどかによって、それらの罪を償うもう一つの可能性が示される(ただし、まどかが明示したわけではなく、ほむらがその可能性に気付いてしまった。その証拠に、円環の理ありきでほむらを救おうとするまどかと、根本的にまどかを救おうとするほむらとの会話は噛み合っていない)。
「まどかを救う」絶好の機会が訪れた(「この時を待っていた」)。
今度こそ「どんな手を使ってでも」、「どんな姿に成り果てたとしても」、自分の手でまどかを救わなければならない。
「もうためらったりしない」。
それが新たな罪であることは自覚している(「どんな罪だって背負える」)ので、言葉の本来の意味での確信犯(ラートブルフ)だといえる。

その結果、ほむらは「人間としての鹿目まどか」の日常を取り戻すが、罰として「一人ぼっち」になる。
しかし、そんな「痛みさえ愛おしい」。
なぜなら、まどかを救ったのは他でもない自分だという満足感があるから。
ただし、「こんな姿」になってまでも、なおまどかに接触したがるところに、人間的な未練が垣間見える。


(4) 二次創作説(自意識誤想過剰防衛説)
心の中のキャッキャウフフな妄想を覗き見され、しかも同情されたいたたまれなさのあまり、目撃者の記憶を消したうえで一からやり直したくなったからである、とする説。

結界を作った魔女は自分だと気づいたのを機に、暁美ほむらの中で状況の再解釈が生じている。
すなわち、まどかのいない世界に一人取り残された孤独(「寂しいのに、悲しいのに、この気持ちを誰にも分かってもらえない」)から、心の中でひそかに思い描いてた「魔法少女まどか☆マギカ」の二次創作(戯曲)。
その中で、自分が「暁美ほむら」役を楽しそうに演じているところを、まじまじと観察されていた。
まるで、全国130館の劇場で、自作の同人誌を晒し上げられるような仕打ちである。

インキュベーターはまあいい(あいつら感情ないし)としても、巴マミ佐倉杏子に自分が作者だと気づかれるのは時間の問題である。
というより、美樹さやか、彼女は何もかも知っていた。
そのうえで、後で真実を知ったほむらが傷つかないように、さりげなくフォローまでしていた(「これって、そんなに悪いことなのかな。それを願った心は、裁かれなきゃいけないほど罪深いものなのかな」)。
邪推すれば、以前、ほむらがメタ視点から(主にまどかのために)説教した仕返しとも受け取れる。
これがかえって、ほむらの劣等感を刺激したおそれもある(自意識に対する侵害の誤想)。

あまつさえ、妄想にふけっている間にまどかをインキュベーターの脅威にさらした。
だとすれば、そんな自分はますます救われてはならない。
(オカズにしていた)まどかに合わせる顔なんてない。
このまま結界の中で魔女として滅びるべきである(「きっとこの結界が私の死に場所になるでしょう」)。
介錯人もいるし(「ここには巴マミ佐倉杏子もいる。彼女たちを信じる」)。
まさに「公開処刑」である。

ところが、当のまどかは「何があっても、ほむらちゃんはほむらちゃんだよ。私はぜったいに見捨てたりしない」。
はたしてほむらは、この言葉をどう受け取ったのだろうか。
同情されるより軽蔑されたほうが、まだ気持ちが楽だったのではないか。
「何があっても」、「ぜったいに見捨てたりしない」ということは、逆に言えば、やはり二次創作「を願った心は、裁かれなきゃいけないほど罪深いもの」だということなのか(自意識に対する侵害の誤想)。
だとすれば、もう徹底的に堕ちるところまで堕ちるしかない(「私が意気地なしだった」、「どんな姿に成り果てたとしても、きっと平気だわ」、「もうためらったりしない」、「痛みさえ愛おしい」)(自意識の過剰防衛)。

ここでこの作品が喜劇になり得ないのは、言い換えれば喜劇として解釈できないのは、ほむらが他人のそうした理解を拒絶しているからである(「誰に分かるはずもないわ」)。
つまり、ほむらの行為が普通人の視点から「理解」しにくいのは、(他人が理解するための)隙を見せる「可愛げ」がないからなのである(しかも、世界の創造者として、世界の「ジャンル」を非喜劇として規定してしまっている)。
たとえば、「いったいなんの権利があってこんな真似を」というさやかの問いに、ほむらは「今の私は魔なる者」だから悪いことして当然だという趣旨のことを答える。
しかし、これはまったく答えになっていない。
なぜなら、問題は、そもそもなぜその†魔なる者†になったのか、だからである。
これでは、「あなたのような常人には理解できない独自の使命がある」とうそぶくようなものだろう。
つまり、他人が理解しようと思っても、その理解を上回るためのメタ厨二設定(物理)で逃げ続けるのである(反証回避戦略)。

ほむらが本当の意味で救われるためには、ほむらの可愛げを引き出すツッコミ役が必要である。
この点において美樹さやかは、改変後の世界で、ほむらに対するツッコミ役になり得る人物ではないだろうか(なお、さやかの記憶がかろうじて残っていたのは、単なる偶然ではなく、ほむらがさやかの「理解」に反駁する必要があったからだとも思われる)。


(5) 単純欲情説(うれション説)
「あの懐かしい笑顔と再び巡り会う」ことができた嬉しさのあまり、なんかもう辛抱堪らんくなったからである、とする説。
陽気な破廉恥犯である。


3. まとめ
と、このように、「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」について書きたいことを、国語の出題形式を利用して書いてみました。
なんか、このあたりの接点に、そもそもアニメのような「フィクション」を「観る」とはどういうことなのか。
そして、なぜ私達は、その「意味」を「分かる」ことができるのか、のヒントがありそうな気がしたからです。

なお、【解答例】は、救済固執説と二次創作説とを折衷したようなものになっています。
これが唯一の正しい解答(right answer)だと言いたいわけではありません。
しかし、「解答は人それぞれである」という相対主義を唱えたいわけでもありません。
作者の意図に関わらず、作品の登場人物には必ず固有の行動原理があり、その行為をなした理由が「なければならない」。
少なくとも、そう仮定して解釈すべきである、いや、現に私達はそうしている、というのがこの記事の隠れた論旨なのです。

長文を読んでくださって、ありがとうございました。


(注記)
登場人物の台詞は、表記・言い回しを含めて、一字一句同じではないかもしれません。
覚えきれませんでした。

【ネタバレ】劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語

【対象作品】
題名:劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語
制作:シャフト
年代:2013年

以下、上記作品のネタバレがあります。
ご注意ください。


【あらすじ】
迷探偵ほむらの冴えわたる物理。
ブレない女。
キュゥべえが余計なことしたせい。


【感想】
TVシリーズがきれいにまとまっていたので、たしかに蛇足感はあります。
しかし、[新編]として、これはこれでいいかなと思えてきました。
旧約聖書新約聖書との連続性・不連続性みたいな感じで。

前半は、一見恥ずかしい「ピュエラ・マギ・ホーリークインテット」や「魔法少女のお茶会」は、個人的には1周回ってアリでした。
逆に、一見かっこいいガン=カタ・アクションは、観ていてちょっとだけ恥ずかしくなりました。
後半は、「まどか with 元魔女連合ズ feat.魔法少女ズ」によるほむらを救うための総力戦、という展開が熱かったです。

では、面白いのかというと、見せ場はいくつかあるものの、普通に観ているぶんにはそれほど面白いとは思えません。
物語は一応、理詰めで展開されていきます(わりと台詞で説明してしまう)。
だから、理屈は分かる。
でも、面白くない。
むしろ、理詰めだからこそ、面白くない。
逆に、理詰めの部分を手掛かりにすれば、考察が好きな人には面白いかもしれません。
そして、私はいわゆる考察厨なので、まあまあ面白いと思えました。


【解釈・考察】
私が生きているこの世界は、果たして夢か現実か(夢の懐疑)。
夢ではないとしても、この記憶は虚偽か真実か(時間の懐疑)。
そこに犯人(たとえば超越者)はいるのか否か(実存の懐疑)。

普通に日常を送るうえでは、これらのことはまったく問題になりません。
にもかかわらず、ひょっとしたらと思わせるような作品がしばしば現われます。
この[新編]も、そういう作品の系譜に連なる一つだといえるでしょう。

その中で、強いてこの作品の特色を挙げるとすれば、超常的な存在が具体的な人格をもって介入してくることの薄気味悪さだと思います。
すなわち、暁美ほむらは超常的な存在のくせに、概念になった鹿目まどかと違って、具体性がありすぎるのです。
つまり、とっくに人外のくせに、その姿形、立ち居振る舞い、目的とするところ(「呪いよりもおぞましい」愛)が、あまりに「人間まがい」で、なんだか気持ちが悪いのです( なお、ほむらが「悪魔」だというのは、夢の懐疑における「デカルトの悪魔」という意味もかかっていると解釈することもできます。ただし、状況としては、夢の懐疑の時間版であるラッセルの世界5分前仮説に近い?)。

仮に、私が生きているこの現実世界に神や悪魔がいたとしても、ほむらのような一途で繊細な孤高の馬鹿娘はまっぴらごめんです。
単に概念的なデカルトの悪魔であることを超えて、いまさら普通の悪魔気取りで「悪魔だもの。悪さもするさ」とニヒルに開き直って私の日常に介入してくる様を想像すると、ゾッとします。

しかし、よく考えてみるとこの状況は、ほむらがキュゥべえに取って代わっただけだともいえます。
いや、むしろ、改変後の「この宇宙」を維持し、「このまどか」を守るためならば、ほむらはキュゥべえを「他の星」、さらに「他の宇宙」に放つのではないでしょうか。
さらにいえば、、「TVシリーズの宇宙」(または「[前編][後編]の宇宙」)に存在する地球にキュゥべえを送りこみ、魔法少女と魔女を生み出し、エネルギーを回収させた超文明の主というのは、実は他ならぬほむらだった、というのはどうでしょうか。
そして、「すべての宇宙」を上書きする形でn番目の「神まどか」が生まれ、「悪魔ほむら」が生まれ……以下繰り返し。
もしそうだとしたら、言葉の本当の意味で救いようのない話ですけど。
もちろんこれは、「ぼくがかんがえたちょーつおいぞくへん」にすぎません。

ところで、実は上述の懐疑には、解答をどちらかに絞る究極的な決め手はありません。
論理的にあり得ないのです。
なぜなら、決め手そのものが夢の産物かもしれず、虚偽かもしれず、超越者の上にさらに超々越者がいるかもしれないからです。
そして、上述した通り、私達の日常はそれでなんの不自由もないのです。


(注記)
なお、ほむらが超文明の主かもしれないという考えは、以前、「岡田斗司夫の「まどか☆マギカ劇場版」を金払って観たから言いたいこと言うよ!」(http://www.nicovideo.jp/watch/1351085005)において岡田さんが述べられた超文明の話を、自分なりに延長してあれこれ考えた結果、得られたものです。
岡田さんご本人には否定されるかもしれません。

自己紹介に代えて

はじめまして。

私はアニメが好きです。
アニメを観るのも、観たアニメについてあれこれ考えるのも好きです。
でも、あれこれ考えたことを人に話すのは、あまり得意ではありません。
たとえ、その人がアニメが好きな人であっても躊躇します。

そもそも人と話すのが苦手だから、というのもあります。
加えて、アニメの場合は、なんかこう、後ろめたさとかがあるからだと思います。
「いい大人」が「たかがアニメ」に熱中している後ろめたさ。
それを払拭するために理論武装せざるを得ない悲しさ。
いつの間にかアニメを踏み台にして、得意気に語るいやらしさ。
そもそもアニメの楽しみ方さえ忘れてしまっている情けなさ。
それでもアニメから離れられない未練がましさ。

本来は、自分が観た作品についてあれこれ考えたことをとにかく言葉にしてみるというのは、(それを発表するかどうかは別にしても、)楽しいことだと思います。
しかし、私はすでに、その楽しみを忘れかけている気がします。
そこで、このブログに書くことを通して、再び思い出せればいいなと思っています。
「書く」のが得意だというわけではありませんが、「話す」よりも抵抗は少なく感じます。
たぶん、自分の趣味に人を付き合わせる束縛の程度が低いからでしょう。

なお、書き方はまだ決まっていません。
感想を書くのか、解釈を書くのか、考察を書くのか、評論を書くのか。
特定の作品について書くのか、特定の主題について書くのか、書き方そのものについて書くのか。
そのあたりは手探りです。
いずれにしろ、なるべく「作品そのものに即して書く」ことを心がけようと思います。

次回は、先日観たばかりの『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』について考えたことを書こうと思います。